『第7話の英語を喋ったところも、「犀川は片言でいいよ」って言われてたんです。でも現場に英語の先生がいらっしゃっていて、すっごく厳しかったんですよ(笑)。「あれ? 話と違うな……」みたいな。5分強喋りましたよ。』
声優は外画の吹き替えもすることが仕事だから、
とりあえず英語も話せた方がいいだろう、と思っている方も多いのではないかと思います。
しかし、声優は英語が話せたところでオーディションで有利になることはありません。
英語ができたとして、声優仕事のどこに活かせるのか、ということについて実例を挙げて解説していきます。
例えば、名探偵コナンなどのアニメなどは英語のセリフが多くあります。
しかし外国人設定のキャラクターである筈なのに英語のセリフはネイティブ英語ではなく全てEngrish(蔑称)です。
日本語も話せる外国人キャラクターを演じる場合、肝心の英語がカタコトでは当然批判されます。しかし劇中では英国の単語やアクセントを使っているので飽くまでも劇中の台詞は英国英語です。ということになっています。
日本語も話せる外国人キャラクターを演じる場合、肝心の英語がカタコトでは当然批判されます。しかし劇中では英国の単語やアクセントを使っているので飽くまでも劇中の台詞は英国英語です。
故 家弓家正の演じるキャラクターは生まれはロンドン育ちはシカゴ
一部のアフィブロガーなどはオーディションの時点で「英語が話せる人」という条件付きのオーディションもあるとほざいていますが、
そのような例は殆どありませんし、ネイティブ英語がファクターとなるアニメを忠実に再現する意識高い系の製作スタッフは皆無です。
何故、「全てがFになる」で英語の話せない甲斐田結子さんが英語の代役も立てずに起用されたのでしょうか?
現在の技術であれば家弓家長氏の声を学習させてネイティブイギリス人の代役を立てれば技術的には可能です

また、英語台詞の代役を起用するケースもあります。
リシ・ラマナサン (Rishi Ramanathan)
声 - 梶裕貴 / ドミニク・アレン(英語台詞)
予備警察官。29歳。
アイダン警部補の依頼で捜査しているレオンの一番弟子。父が日本人なので日本語も堪能で小五郎たちに捜査協力を頼む。
名探偵コナン 紺青の拳より
名探偵コナン「シカゴから来た男や紺青の拳」の回は1言でも台詞があればギャラが支払われますが「全てがFになる」の最終回以外日本語を喋らない甲斐田結子さんのケースは代役を立ててしまうとギャラが出ません。ごり押しでねじ込んだのに台詞が最終回だけとなるとねじ込んだ意味がありません。
外国に行ったことのある人は経験したことがあると思いますがネイティブ英語を話す人達はカタコト英語しか話せない人のEngrishは無視します。
日本人の英語発音はネイティブにこう聞こえています。
犀川「ワタァシのナマァニはサイケァヴァデース」
「全てがFになる」ではネイティブ英語を話す態のある登場人物がこのカタコト英語の取調べに応じているので最早作品として成立していません。
結果は見事に失敗
名探偵コナンであればネイティブ英語を話す自称四季博士の妹がカタコト相手の取調べに応じている場面を見た瞬間に容疑者候補となり、
1話目で事件編、2話目で捜査編、3話目で解決編となり真賀田未来(四季博士本人)が拘束されて事件は無事に解決してしまいます。
「あっれれ~?おっかしいぞ~?なんでおばさんは英語の方が話しやすいって言ってるのにカタコト英語のおじさんの取調べに応じているのかな~?
カタコト英語同士で英語が話せた気分になっているのは日本人の特徴だよ~。つまりあんさんは英語ネイティブには見えんっちゅうわけでおまんがな。」
「全てがFになる」 完結
最近ではネイティブ英語が話せるバイリンガル声優は大勢います。
そして肝心の翻訳ですが、翻訳家(戸田奈津子)のように翻訳が自分の色を出していたり、ハヤカワ文庫のエルキュール・ポアロシリーズのように翻訳家が何人かいる場合は
エピソード毎に主人公の一人称や言葉遣いがコロコロ変わっていたり
steamなどの一部ゲームではそもそも翻訳者が時には直訳しか出来ないバイトだったりするので
その台本の原本である英語が話せる声優から見たら
「このセリフおかしくないですか?」と感じることがあるかも知れません
しかしそれをスタッフに相談をして台本を書き換える権限は声優ごときにはありません。
「血糊を得たぞ!」
英語があまりわからない、という人は、戸田奈津子氏の翻訳映画を見た後に、英語字幕付きでその映画を見ると違いがわかりやすいです。
またホグワーツレガシーでは明らかに間違っている翻訳が何箇所もありますので原文をチェックしてみましょう。
英語版では乱暴な言葉遣いをする登場人物が何故か日本語版では丁寧口調のデスマス口調で話すこともあります。
出版社などの翻訳では翻訳家とは別に表現方法を訂正する"校閲"という職業もありますから翻訳者の表現方法が間違っている場合、
校閲が訂正します。有名な日本人作家の中には実は文章が書けないという人がいます。
守秘義務や名誉毀損にならない程度のことを書きますと水嶋ヒロ著書ポプラ社発行のカゲロウは日本語表現が滅茶苦茶でほぼ全ての文章はポプラ社の校閲ありきです。
また、5chで文章の言い回しが意味不明だとネタにされていた「リアルおにごっこ」の作者 山田悠介氏の初版は校閲なしの自費出版です。
最近山田語録を見かけないのは校閲というチームが付いているからです。
校閲のないsteamのゲームでは「ちょっと何言ってるかわかんない」という言い回しが結構あるものです。
英語がある程度マスター出来て意味合いがわかった所で台本は原文(オリジナル)の意味合いでは有りません。
「英語が理解できた方が演じ方の幅も広がるでしょう。」というのは妄言です。
監督の中には日本や世界全体でのメディアミックスを本気で考えている人もいます。
現に戸田奈津子氏の日本語翻訳は監督からはゴミ扱いをされて降板しています。
また、日本市場を視野に入れているゴースト・オブ・ツシマでもいくつか違和感を覚える台詞がありました。
日本語というのは表現力が非常に多い言語なので日本市場への展開を考えていたとしても翻訳が不完全になることがあります。
結局声優はその台本通りに芝居をするしかないのです。
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Q『フルメタル・ジャケット』の字幕訳者を交代した理由は?
そのマシュー・モディーンが主演した『フルメタル・ジャケット』の監督、スタンリー・キューブリックは究極の完璧主義者でした。自分の映画が公開されるときは、あらゆる国のポスターデザイン、宣伝コピーなどの宣材を全て、フィルムの現像の焼き上がりチェックまで、とにかく全てに目を通します。たとえば日本で印刷したポスターは色が気に入らないと言って、自分が住んでいて目の届くイギリスで印刷させていたほどです。
じつは『2001年宇宙の旅』(1968年)、『時計じかけのオレンジ』(1972年)など、過去の作品は大先輩の高瀬鎮夫さんが字幕をつけられていて、「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求するバカげたことをなさる大先生だ」とぼやいておられました。その高瀬さんが亡くなられ、私に回ってきたのが『フルメタル・ジャケット』だったのです。
ベトナム戦争たけなわの頃、アメリカ国内の陸軍基地(注:海兵隊基地の間違い)でしごき抜かれた新兵たちが、やがて地獄のようなベトナムの戦地へと送られて行く。これだけで言葉の汚さは想像つくでしょうが、とくに前半の鬼軍曹のしごき場面のすさまじいことといったら!日本人にはまったくないののしり文句を、新兵に浴びせまくるのです。たとえば、「Go to hell, you son of a bitch!」というセリフに「貴様など地獄へ堕ちろ!」という字幕をつけたとします。キューブリック監督の要求通り、その字幕を文字通り英語に直すと、「You - hell - drop」となり、英語の構文に整えるとなると「You drop down to hell !」のようなことになる。「Go to hell, you son of a bitch !」が「You drop down to hell !」になって戻ってきたら、キューブリック監督でんくても「違う!」と怒るでしょ。英語とフランス語のように語源を共有し(注:語源が語族という意図なら英語はゲルマン語族、フランス語はラテン語族で全く異なる)、いまも血縁関係を保っている言語同士ならともかく、まったく異質の言語の間で翻訳・逆翻訳をやって、元の文章に戻ることはありません。
「a son of a bitch !」の気持ちは「貴様」という「you」とは違う日本語の人称でじゅうぶん表現されていると思います。〈中略〉そういう言語の違いを考慮せず、逆翻訳の文字ずらだけを見るのはナンセンスです。
「a son of a bitch !」を直訳すれば「メス犬の息子」「ふしだらな女の息子」です。でも、日本人同士でケンカしている時に、「メス犬の息子め!」と言われてもなんのこっちゃ?で、気が抜けてしまいます。〈中略〉
映画を観ている時に、観客が感情移入してドラマに浸りたいのは当然。その時に「メス犬の息子め!」と聞きなれない表現に訳しても、観客は「??」と戸惑うばかり。「コノヤロー!」と抵抗のない表現にして、自分をケンカしている気分になってもらうのが字幕の役目だと思います。
Q:字幕の役目とは?
〈中略〉「字幕を読む」という行為は、映画鑑賞に割り込んでくる余分な作業。字幕はそもそも、あってはほしくない余分な存在なのです。その余分なものに、観客がその表現に一瞬でも戸惑ったり、画面が変わっても読みきれなかったりして、鑑賞を妨げられるような字幕は、良い字幕とは言えません。
そこで『フルメタル・ジャケット』ですが、日本人には唖然とするほど、卑猥な侮蔑語やフレーズが機関銃のような早口で乱射されます。監督は、これもすべて忠実に字幕にのせろと要求して来ましたが、そんな翻訳は絶対に読み切れるものではありません。字幕を読むのに追われて、観客は映像など見ている余裕がありません。「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という文章を読んで、そのイメージが瞬間に咀嚼できますか?もちろんシナリオは一言一句磨き抜かれたもので、どの言葉もなんらかの意味があって、そこにあるのですから、勝手に切り捨ててよいものではない。でも読み切れず、内容のイメージも即座に把握できない「画面の字の羅列」にどういう意味があるのでしょうか?
字幕の担当者としては、オリジナルの台詞をあくまで尊重しつつも、「字幕を読む=余分な作業」が、観客の負担にならず、映画のすべてー映像、芝居、音楽、その他の要素ーをトータルに楽しんでもらいたい。そこにはおのずと正しいバランスがあるはずで、そのバランスを第一に考えることが、字幕を作る者の持つべき姿勢であり、責任だと思っています。
Q:キューブリック監督に、字幕事情を説明しましたか?
残念ながら、この問題は一方通行で進んで、結局『フルメタル・ジャケット』の字幕は、映画監督の原田正人さんが手がけることになりました。
原田さんはキューブリック監督の要求通りに翻訳しても字幕は読めると考えていました。シナリオがすでにしっかり頭に入っていて、2度も3度も映画を見返せば、むろんそれで問題はないでしょう。でも、入場料を払って映画館に来る観客は、まったくの白紙の状態で字幕を読むのです。ややこしい文章では、理解するのに翻訳した人間の2倍、あるいは3倍はかかる。そのあとに映画そのものを楽しむ余裕はどれほど残っているのでしょうか?
当時、ある映画評論家が「フィルム・メーカーが心血を注いだシナリオの言葉は一語たりとも切るべきではない。読み切れなければ2度でも3度でも観ればいいのだ」と言いました。そりゃあ、評論家は2度でも3度でもタダで試写を観られます。しかし2000円近い入場料を払い、2時間あまりの娯楽を求めて映画館に足を運ぶ一般の観客はどうなるの?腹を立てていた私に清水俊二先生は「映画は評論家のためにつくられているものではない」と、一刀両断。溜飲の下がるひと言でした(笑)。
Q「誤訳だ」と批判されることに対しては、どんな気持ち?
お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしてます。ほとんどの指摘が文字数の制限とか、字幕に課せられる制約を理解していないので・・・。〈中略〉
Q:新しいスターたちが次々と誕生した90年代。来日と字幕作りで大忙し?
年間50本近く、フル回転で字幕をつけてたでしょうか。若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。
(引用元:戸田奈津子 金子裕子『KEEP ON DREAMING』〈2014年発行〉)
なんだ、そうだったのか!戸田先生、誤解して申し訳ありませんでした!!・・・と思った方は・・・いらしゃらないと思います。もうどこからツッコンでいいのやら(笑。
「a son of a bitch !」を直訳すれば「メス犬の息子」
Q:一般的には「売女の息子」ですね。割と日本人でも知っている方は多いのではないでしょうか。
「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という文章を読んで、そのイメージが瞬間に咀嚼できますか?
Q:できますが何か?
そんな翻訳は絶対に読み切れるものではありません。
Q:そもそも『フルメタル…』の公開当時も、映像ソフト化時も、そして現在に至るまで、観客や視聴者から「字幕が読み切れない」「字幕を追い切れない」という話を聞いたことがありません。その時点で戸田氏の言っていることに説得力はゼロです。
そこにはおのずと正しいバランスがあるはずで、そのバランスを第一に考えることが、字幕を作る者の持つべき姿勢であり、責任だと思っています。
Q:バランスが正しい、正しくないと、訳のニュアンスが正しい、正しくないは別の問題です。問題をすり替えないでいただきたい。
そりゃあ、評論家は2度でも3度でもタダで試写を観られます。しかし2000円近い入場料を払い、2時間あまりの娯楽を求めて映画館に足を運ぶ一般の観客はどうなるの?
Q:2014年時点でこんなこと言う人がまだいるとは。とっくに気に入った映画はDVDやBDで繰り替えし鑑賞する時代です。戸田氏の時代感覚は昭和で終わっているようです。
お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしてます。
Q:いや、気にしてください!「間違い」なんですから。
若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。
Q:はい、自覚はあるようですね。だったら自分の字幕翻訳家としてのスキルの低さも自覚して欲しいです。
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キューブリック監督「戸田奈津子!貴様はそびえ立つクソだ!」
高瀬鎮夫「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求するキチガイだ!」
戸田奈津子「若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。(んほぉ~!この海外スターたまんねぇ~!)」
英語が役に立つ場面もある
ここまで英語が出来るからと言って得をすることは薄いと書いてきましたが、当然役に立つことはあります。
Yotubeでの実況
例えばオランダ産のゲームやフランス産のゲームには初期の翻訳は英語のみで日本語翻訳版が実装されていないことが多いです。
つまり権利関係などに制限がなければsteamなどでバズっているゲームや日本語版未発売のゲームを同時に翻訳して先行配信が出来ます。
FPSなどアクションゲームなら兎も角、推理モノは勿論やアドベンチャーものでも複数のルートやキャラクターの生存の有無でシーンが変わるパターンがいくつかあってもネタバレを知っているゲームの配信をわざわざ見る人は少ないでしょう。
しかし、日ナレなどタレントの権利に厳しい事務所に所属している場合、個人配信は厳しいです。
ワーキングホリデーを利用して養成所費用や経費を稼げる
ワーキングホリデー制度とは休暇目的で入国し滞在期間中に旅費や滞在資金を補うための就労を認める制度で、申請時の年齢は18歳以上30歳以下。
現在30の国と地域が対象です。
つまり観光ついでに遊びながらお金を稼ぐことのできる制度です。
オーストラリアは世界一平均の年収の高い国なのでこの制度を利用してベンチャー企業に務めれば簡単に年収1500万円は稼げるようにみえます。
日本での金属加工工場で勤務しても月収16万円なところ、オーストラリアで同じ作業をすればなんと月収90万円となります。
しかし現実は甘くありません。
ワーキングホリデー自体は18歳以上30歳未満の日本人であれば資格は簡単に得られますが、企業が採用してくれるかは別問題です。
ワーホリ稼げるはずが「甘くない」 日本の若者がオーストラリアで困窮 炊き出しに列
こちらの記事ですが残念ながらこれがワーキングホリデーの実態です。
原因の多くは英語が話せないことで就労できないことが原因で路上生活者になって毎日炊き出しに参加するケースが多いそうです。
おじゅんさん「日本人の思っている英語ができると、海外の思っている英語ができるが全然違いすぎて、全然(英語が)できないのを実感しました」
上述の方にも書きましたが「カタコト英語同士で英語が話せた気分になっているのは英語圏外の特徴です」
この記事以外にも工場でクビを宣告されたのに、クビになっていること自体が分からなかっただとか、不動産屋に騙されてぼったくり価格の家賃のシェアハウスを掴まされた間抜けなケースもあります。
ですから声優を目指す前にこのワーキングホリデーを利用してお金を稼ぐというのであれば英語力は必要です。
まとめ
英語が出来るからといって声優仕事が増えるということはまずありません。
100歩譲るにしてもごり押しされた場合、その企画が続く可能性がわずかにあるだけです。
上述の「全てがFになる」がコケた理由の一部にカタコト英語という原因がありますが、コケた理由のひとつに過ぎません。またゲームの日本語化前のYotubeでの先行配信にしても事務所が権利関係にうるさいのであれば配信自体が出来ませんし、
ワーキングホリデーで養成所費用を稼ぐというのも18歳以上という条件があるので生まれながらのお金持ち声優との差が開きますし
19歳から養成所に通うとしても全くの素人であれば最低でも2年間は通う必要があります。
近年は声優のアイドル化もありイベント仕事も増えていますし、年齢という要素も重視されています。
以上、英語が話せることはないよりはあった方がマシということでした。
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